2022年8月4日木曜日

事業報告(6)キッズスペース②,   よりあい塾③

 今回の事業報告は、7月の最終週に行われた2つの主催事業について報告します。

 ●27日(水)「古代技術に挑戦:火起こし他」                                   (キッズスペース:夏休みの子ども対象)

 キッズスペースは、夏休みの子どもたちに自由研究などのきっかけ作りに役立て欲しいとう思いから開催しました。今回は埋蔵文化財センターの板倉 有大先生をお招きし、縄文・弥生時代にタイムスリップして考古学について想像の輪を拡げました。


 今回の参加者は1年生から6年生までの11名、
1 花畑校区周辺の遺跡について
2 遺跡の本物の出土品に触れる
3 火起こし体験
4 土器パズルで復元ゲーム
の内容について詳しく勉強しました。

 みなさん花畑校区にも遺跡があったことをご存知でしたか?名前は「花畑A遺跡」と言われており、今から60年ほど前に確認されたそうです。ただ、その頃花畑校区は宅地の開発が進んで大規模な遺跡調査は行われなかったそうです。100点以上の出土品もあったそうで、今から約2000年ほど前の縄文時代・弥生時代から人が住み着いていたということです。
 先生が子どもたちに質問されました。「なぜここに?大昔から人々が住んでいたと思いますか?」子どもたちにとってはちょっと難しかったかもしれませんが、皆さんどう思われます?答えは、二つ考えられるそうです。①気候が温暖で山や川が身近にあり、自然豊かで、食料が調達しやすかったのではないか ②佐賀県の吉野ケ里など、遠くの人との交流の要所になっていたと思われる ということでした。
 埋蔵文化保護法が施行されたのが1950年8月です。それ以前と以後では埋蔵物の保護は大きな差があるようで、この近辺では、開発が少し遅れた、野多目や太平寺ではちゃんとした形で遺跡が残っているということでした。左の写真の先生が指をさされているところが花畑小学校・公民館で、黄色の部分は遺跡が見つかったところです。2000年も前から営々と人々が住み続けている地域だと思うと、そこらへんに落ちている石や土器のかけらなど「もしかして」と考えてしまいそうですね。
 子どもたちも、出前講座ならではの特権を生かして、実際に出土した遺物(土器や矢じり)を手に取って触わることができました。先生が「これは○○○○年前の土器です。矢じりです。銅鏡です。」と言われて、私も手に取ってみましたが、どれも精巧にできており大昔の人の技術の高さに驚かされました。

 
 次は、今日のメイン「火起こし体験」です。最初に、古代の人々の道具との関わりについて教えて頂き、次に、人間が火をコントロールできるようになってさらに文明が発達したことを学びました。次は、いよいよ子どもたちが楽しみにしていた火起こしの実演です。今回は、埋蔵文化財センターで「舞切り式」の火起こし器を準備して頂き、グループに分かれて挑戦しました。
 写真にもあるように、目標は煙を出すまでです。
 子どもたちはテレビ等で、「舞切り式」の火起こしについてはある程度知っているようでしたが、実際にやってみるとある程度のスキルと体力がいるようです。上下運動を回転運動に変えるための力の入れ方や、同じことの繰り返しを継続する気力や体力が必要です。今回11名の子どもがトライしましたが、煙を出すことが出来たお友達は3人ほどでした。この先、火種を作って炎にするまでにはかなりのエネルギーがいりそうです。古代人の根気強さに改めて気が付いたのではないかと思います。


 
 最後は、出土した土器の修復体験です。磁石でできた土器片を二チームに分かれて、修復します。20個近くに分かれたパーツをどちらのチームが早く完成させることが出来るか?チーム内で協力して、一人一人の気づきを活かして作業せねばなりません。ここでは、出土した土器片の特徴をいかに感じ取ることができるか、ものをじっくり観る感性が必要な様です。どの子も集中してパズルに取り組むことが出来ていました。



 
 低学年の児童を含めた11名の参加でしたが、歴史的な難しいことを抜きにしても、みんな大昔に思いをはせながら想像力を働かせていたと思います。板倉先生からも「みんなは、遺物から想像力を働かせて大昔の事を考える考古学者だね」と褒めていただきました。


●28日(木)「金印の使われ方,封泥を体験しよう」                                   (よりあい塾:成人~高齢者対象)

 今年3回目の「よりあい塾」は、福岡市博物館の出前講座で国宝金印「漢委奴国王」について学びました。当日は22名の参加でしたが、コロナ対策もあり各机2人ずわりのスクール形式で開催しました。福岡市博物館から集客・広報普及専門員の三角徳子さんと帆足有紀さんにご指導をいただきました。ご存知でしたか?金印は歴史の授業で志賀島から発見されたのは知っていましたが、金印は福岡市博物館所蔵だったのです。なのでお二人の名刺は金印の刻印がはっきりと押されていました。

【今日の学習内容】
1 博物館の説明
2 金印の時代
3 発掘の経緯
4 金印について,使用方法
5 お手紙書き
6 封泥体験(手紙の内容保障、秘密保護) 
 
                 今回は、概略になりますが金印について学んだことをいただいたパンフレットを参考にしながらご紹介します。
 中国の史書『後漢書』によると建武中元二(西暦57)年、倭奴国が漢に使節を送り、光武帝が「印綬」を与えたという記載があるそうです。
 
 発見届けである『口上書』によると、博多湾に面した「叶の埼」の田で農作業中に大きな石の下から出土したとされてます。
 金印の重要性をいち早く指摘したのは福岡藩の学問所甘棠館(かんとうかん)館長 亀井 南冥(なんめい)で、「金印弁」と題した論文と発見地の地図を著しています。

 金印はつまみ(鈕ちゅう)と文字を刻んだ印台からできています。鈕の部分は蛇が横向きに身をよじり、頭を持ち上げて見返るような形に作られておりっ前進しているようにもみえます。印台はほぼ正方形で、一辺の長さが2.3㎝で、この長さは後漢初めの一寸にあたり官印の規定に一致しています。重さは108gで10円玉24枚分の重さに相当します。成分は金95%、銀4.5%、銅0.5%です。

金印のレプリカを全員に配っていただき、みんな真剣に金印とにらめっこをしていました。

各印は、それぞれの国がどの地域に有るかによって、つまみの形が変わっていたようで、南のほうにある国は蛇のつまみをしていたそうです。


 また、印のできている材質によって地位が高い方から低い方まで分けられていたようで、金でできている印は、玉でできている印についで2番目に地位の高い身分だったようです。なので倭の奴の国王に渡されたことがはっきり裏付けられています。

 金印に掘られた5つの文字は、「漢」は印を与えた中国の王朝の名で、国外の外臣(他の国から来た臣下)に与えた印に刻まれています。次の「委奴」の読み方については発見当時から色々意見があるようですが、今では「委」の文字を「倭」ととらえて「倭(わ)の奴(な)」という読み方が主流になっているようです。外臣に与えた印には、中国王朝名の次に民族名、部族名、官職名の順に彫られています。これを「金印」に当てはめると倭(民族名)、奴(部族名)、国王(官職名)となります。そして読み方は「漢(かん)の倭(わ)の奴(な)の国王(こくおう)」となります。
【金印の使い方】「封泥」とは?
 現在の印鑑は朱肉を付けて捺すと文字が赤く印字されるように文字が陽刻されています。ところが金印は文字の部分を彫って陰刻されています。これは印を紙に捺すのではなく、粘土板に捺して文字が浮かび上がるようにするためでした。
 文書を送るときは、木簡などを入れた荷に紐をかけ、その結び目を「けん」と呼ばれる板で挟み、粘土で封をします。そして、その粘土に印を捺します。これにより、途中で封を開けられることを防ぎ、印を持った人物が作った文書であることを証明します。

 封泥について、金印の意味から一通り学んだ後実際に自分の作った文章を封泥で封をする体験を行いました。参加者は思い思いに、自分の思いを書いたり、家族への思いを書いたり
、未来の自分宛てに手紙を書いたり、講堂が静まり返って真剣な作文タイムが流れていました。その後、自分が書いた手紙を丁寧に折って、箱に入れ、紐を十字にかけて、紙粘土で固定して、いよいよ金印の「封泥」を捺しました。現在でいうなら内容証明付きの国王からのお手紙の出来上がりです。



 パンフレットの最後には次のようなお知らせが
【金印発見から現代まで】
 江戸時代に発見された金印は、その後、福岡藩主であった黒田家に伝わり受け継がれてきました。昭和53年には黒田家から福岡市に寄贈され福岡市美術館で所蔵・展示されます。そして平成2年、博物館に移り今日に至っています。
 金印は、本当に小さな国宝ですが、歴史的存在感と意味は大きなものがあります。また、正確な発見地、発見者、読み方には様々な異論があり、志賀島で出土した意味など謎も残っています。そんな背景を含めて福岡の文化財、国宝金印「漢倭奴国王」に親しみを感じていただければ幸いです。

P.S.
 なんと、金印を学習した翌々日(7/30)の朝日新聞の天声人語に金印の記事が載っていました。金印が制作当時の技法で復元することが出来たという記事です。そして、蛇の恰好が実は、北方向けのラクダを急きょ南国向けの蛇に作り替えたという説があるそうです。そうやってみるとずんぐりした蛇が途中までラクダだったなら合点がいくと…。
 皆さんも、もういちど金印のつまみ(鈕)の部分を凝視しては如何でしょう?